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応援する

by Takapi

要するにあの頃の僕は調子に乗っていたんだと思う。

高校生、陸上部で走っていた頃のことだ。
属していたのは、某大学の附属高校の陸上部(短距離)で、僕はキャプテンで、個人種目で都大会で入賞し、リレーでもスポーツ推薦校をおしのけて、東京都で4番目に速い高校にまで登りつめた。
いわゆる強豪校のひとつとして数えられていた。

たかだかその程度の成績だ。
それでも正直言って僕は調子に乗っていた。

50名程度いた同期や後輩部員の面倒など一切見ず、成績の悪い子には冷めた目で「努力が足りないからでしょ」と言っては希望と不安でいっぱいの後輩のやる気を殺いでいた。
(卒業後のOB会で皮肉たっぷりに言われたから間違いのないことだ)

大会も勝ち進めば、自然応援にも力が入る。

たとえば東京都大会決勝は500人近い挑戦者の中で上位8名だけが立てる舞台。
いや、それはちょっと違うか。大会にでれるのは各校から3人だけ。
それで500人だから、その後ろには各校の代表になれなかった何倍もの競技者がいたわけだ。
もちろんその先には関東大会、インターハイと続くのだけれど、それでも都大会は一つの「晴れ舞台」である。

そんな風にして、負けた人数が多くなるほど「応援する側」に回る人が必然的に増えることになる。

「応援団」は競技場のスタンドに作られる。
50名程度の部員と、その他近隣の予選大会で負けたチームや同じ高校の他の運動部の人も駆け付けては、100名近い応援団がスタンドに出来上がる。

そんな競技場に僕は競技者として立ち、いつも応援席を見上げる側にいた。

はじめはその応援が嬉しくて、こそばゆかったけれど、その光景を見上げる回数が増えれば増えるほど、いつしか応援されることは当たり前になっていた。

応援してもらうことに慣れてしまうと人はだんだんと横柄になってくる。
それは低頭して謝られると、大したことなくても自分は被害者なんだと思い込み、謝ってくれた人に対して余計につらく当たってしまうことに似ている。

陸上競技というものすごくわかりやすい結果を伴う残酷な競技が故、かもしれない。
0.1秒でも速ければ、そいつが偉いわけだ。

今だから正直に言おう。応援席を見上げては、憐れんでさえいた。
あぁ、負けた人たち、可愛そうだなって。

やりたくもない応援をさせられてるんだなって。

都大会も順調に勝ち進み(個人競技は上位6名、リレーは6チーム)、僕とリレーチームは晴れて南関東大会に駒を進めることができた。

僕が出場する南関東大会はものすごくレベルが高い。
どのくらいかと言えば、その年の南関東大会のリレーの入賞校の半分程度がインターハイの決勝の半分くらいを占めるくらいには高い。

要は南関東大会は全国レベルの大会なのだ。

正直僕はここまでだと思っていた。
実績から見ても南関東大会に出れたことでOKだろうと。
だからあまり力が入らなかった。

結果、個人種目は散々な結果だった。
まぁこんなもんだろ、と冷めた気持ちで結果を眺めてさえいた。
(ベストからはほど遠い結果だったにも関わらず)

そしてリレー。
割れんばかりの応援のもと、リレーメンバーは善戦した。
(そのレースの記録は今でも出身校の歴代1位の成績だ)

それでも負けた。予選レースの8チーム中6位という結果だった。
決勝にすら進めなかった。
全国の壁はおそろしく高い。

それでも他の東京のチームは決勝に進んだ。
仲の良い友人がいたので、それが嬉しくて、彼の元に駆け寄り、「全国大会、行けると良いね。頑張って。」と握手をして別れた。
清々しい気持ちだった。

さらにレース後、チームの最高記録を塗り替えたことを知り、安堵にも似た気持ちを抱いていた。いや、むしろ満足さえしていた。キャプテンの役割を果たした充足感でいっぱいだった。

そんな気分のまま応援するメンバーが待つスタンドに帰った。
そこで僕はその後の人生を変える出来事に遭遇する。

スタンドの奥の方、一人うなだれるメンバーがいた。
応援団長を任されたA君だ。

僕は礼を言おうと隣に腰かけ、下から覗き込むように彼の顔を見た。

彼は泣いていた。

なぜ君が泣いているの?
走ったわけではないのに。
茫然としている僕に気付き、更に声をあげるように泣き出した彼は、しばらくしてから、応援で枯らし切った声で、振り絞るように言った。

「...ごめん。応援が足りなかった。」

僕はその瞬間、閃光に体を貫かれたような衝撃を、頭より先に胸に受けた。
そしてその数秒後、軽い眩暈とともに、ものすごい恥ずかしい思いに駆られた。

僕は今まで一体何を見ていたんだろう…

晴れ舞台に立てるのは一握りだ。
みなそこに立つことを目標に日々つらい練習に励み、それでもほとんどの人は負けていくのだ。
それが悔しくないわけがない。

それでも僕らは知っている。
頑張ったあとの敗戦は、結果がハッキリするものほどスッキリするものだということを。

だから、終われば自分のことは忘れて相手にエールを送ることができる。
僕が今、リレーで負けても隣のチームに声をかけ、清々しい気持ちでいるのがその証左ではないか。

応援するということは、自分を越えていった人を讃え、さらに前に一歩進めるように背中を押すことだ。

そしてそれはつまり、自分を認め、自分を励ますことと同じなのだ。

そんな簡単なことさえ僕は忘れて、傲慢な気持ちで応援を受け、応援してくれた人を蔑んでいたと思うと恥ずかしくて情けなくて、その場を立ち去りたくなった。

それでも僕はそこを立ち去ることはできなかった。

泣きじゃくる彼を横にしながら、僕はただただバカみたいに「ありがとう」と何度も小さな声でつぶやいていた。

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あれから15年以上が経とうとしている。

人はそう簡単には変われない。
今でも調子に乗ることは多い。
「おいおい、そこから説明しなきゃいけないのかよ」
「的外れなこと言ってるなぁ」
とか。

それでもたぶん少しは変われたんだと思う。

僕は誰かの、必死に前に進まんとする横顔を見ながら仕事をしたい。
そしてその誰かが一歩前に進む瞬間、背中を押せる人でいたい。

そういう動機付けで仕事をするように、生活をするように、いつの間にかなっているからだ。

応援する場所と応援される場所。
どちらも僕にとっては尊い場所だ。
どちらの景色も、最高なんです。

僕が言えるのはそれだけです。

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なぜ、この話を思い出し、書こうと思ったのかは分からない。
たぶん、色んなことが起きる中で、がむしゃらに足掻きながら、迷いながら悩みながらも前を見ている人の話を聞く機会が増えたからかもしれない。

何かに怯え、悩むことはあるでしょう。
僕自身、毎日何かに怯え悩んでいます。

それでも横を見て、前をまっすぐ見ている人がいるならそっと背中を押してあげてください。

それはきっと思いもしない形で自分を励ましてくれることになりますから。

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