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「不便」を愛し寛容さを取り戻すこと

by Takapi

年末年始の2日間の些細な出来事

12月31日、大晦日に大掃除をしている最中に必要なものが出て来てしまい、慌ててAmazon primeを立ち上げた。
検索をかけ、数秒で目当ての商品が見つかり、そこから数秒で決済が終了。
その直後に、家から徒歩数分のドンキホーテにも同じものが売っていることを思い出した。

年越し蕎麦を、例年に漏れず昨日の大晦日に食べた。
うちでは蕎麦のセットで必ずかき揚げを食べることにしていて、いつも大晦日の忙しさに負けてスーパーの惣菜でかき揚げを買ってしまうのだけれど、なぜだか昨日は「今夜は作ろう」と思い立ち、台所に立った。

たまたま手に入ったため、今日からインスタントデジタルカメラのPolaroid snapを使い始めることにした。
頼りないシャッター音がしてから数秒待つと、「ジー」という音を合図にプリントされた写真がチェキよろしく側面から出てくる。

この待っている間のいじらしさと、どんな写真が出てくるか分からないワクワク感が何かに似てるなぁと思ったら、学生時代、好きなアーティストのCDを買って家に帰り、おそるおそるパッケージを開け(大抵ビニールでイライラする)ミニコンポにセットし、再生ボタンを押すまでの感覚に似ているのだ。

便利と不便の天秤の先に

便利になった。
反面不便なことをしたくなった。
理由は分からないけれど、何かのバランスをとるように、不便なものやことを生活に取り入れるようになった。

不便なものとは何か。
それは手間がかかるもの。
融通のきかないもの。

不便なものを求める奥の方の心理は、身体性を伴うものに愛着をもつ本能のようなものなんだと思う。
でもこれは割に最近の世の中の動きとも符合するし、同じような話は色んな場所でされている。

(余談ですが、こういうシーンでよく語られるのがミニマリストとかオーガニックみたいな話だけど、僕はこういう話には懐疑的で。
便利になった世の中でそんな仙人みたいな生活、相当よこしまな思いがなければ続けられないと思っている。)

でも本能的にバランスを取りたがるようだから、僕から推奨したいのはひとつだけ。
ひとつ便利なことを手に入れたら、ひとつ不便なことを取り入れる。
その位で良いと思うのです。

そんなことよりも大事なことがあります。

人類共通の「不便なもの」

一番厄介で、一番融通の利かない、あらゆる人にとって共通する不便なものがひとつあって、
それを結構みなさんはないがしろにしてる気がします。

それは「自分の心」です。

惹かれてはいけない人を好きになってしまう気持ちや、何か軽はずみな行動をしてしまった時の恥や悔い。
比較することではないのに自分よりも目立ち、信頼を勝ち取っている人に抱いてしまう妬みや羨む思い。
などなど…

心の中でモヤモヤすること、これこそ一番不便で融通が利かないんです。
でもこの「不便な心」について僕らはしっかりと向き合ってないと思うんです。

「不便な心」と向き合うことと寛容さ

SNSで流れてくる正義を振りかざした論調や、分かりやすい自己啓発本の中に、モヤモヤの拠り所と正解を見出しては心に蓋をしていてないだろうか。

特に喜怒哀楽という分かりやすい、共有しやすい感情ではなく、個人の背景に起因する、できれば自分の内に閉じ込めたくなるような、恥、妬み、悔み、これらの負の感情こそ蓋をしてはいけなくて、しっかりと向き合う必要があると思っています。

向き合う理由はひとつだけです。
「心が便利」になってしまうと、人に不寛容になるんです。
自分の中でモヤモヤと闘ってない人は不寛容になるんです。

不寛容になれば、正義を振りかざすようになります。
その先に待つ世界は言わずもがな、争いと排他の世界です。

だから全力で提案したい。
「心の不便」を少しでも感じたなら、「答え」などないという前提に立ってたくさんモヤモヤしましょう。
それでも答えが出ないなら、信頼できる人に話しましょう。

寛容さとは、人の心に触れて、知って、そこに自分を見付けて、自分の弱さを知り、自分を赦せる時に初めて生まれます。
自分も誰かと同じで、誰かも自分と同じなんだと気付くことが寛容さの始まりです。

寛容になりましょう。
僕ならいつでも話を聞きますし、話を聞きたい。話してください。

こんなオチになるとは思わなかったですが、どうやらこれが僕の2017年の抱負みたいです。

今年も宜しくお願い致します。

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